30代から美術家を志したカンディンスキーの版画作品
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ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky 1866-1944)は、ロシア出身の画家・版画家・美術理論家。
当初、カンディンスキーはモスクワ大学で法律と経済を学び、研究者として将来を嘱望されていましたが、
30歳を過ぎてから美術を志し34歳でミュンヘンの美術アカデミーに入学します。
その後、年刊誌「青騎士」を刊行し、そこに結集した人々と共にドイツ表現主義の一大勢力を形成。
1910年に最初の抽象絵画とも言われる作品を制作し、フランスのキュビスムに発する、主に形態面からの抽象化ではなく、
内面から発した純粋抽象の道を歩みます。
ロシア革命後は一時モスクワに戻り、ロシア芸術科学アカデミーの設立など美術行政の要職を務めますが、
その後ドイツへ戻り1922年から33年にかけて、造形美術学校「バウハウス」で教鞭を執りました。
1913年に出版された版画集「響き」は、カンディンスキー自身による38篇の詩と2点の多色リトグラフと54点の木版画、
計56点による詩画集で、木版画のうち10点が多色刷りで制作されています。
カンディンスキーが生涯に制作した200点余りの版画作品の約1/3が木版画で、その殆どが1914年までの制作です。
よって「響き」に、カンディンスキーの木版画制作の集約を見ることが出来ます。
