版画 ポスター

石版画(リトグラフ)で表現されたミュシャの美麗なポスター

アールヌーボーを代表する芸術家、アルフォンス・ミュシャ(1860~1939)は主に石版画(リトグラフ)の技法を駆使し多様な作品を生み出しました。

当初、無名の挿絵画家であったミュシャをスターダムに上がらせたのは、フランスの女優サラ・ベルナールの舞台「ジスモンダ」の広告ポスターでした。

シュロの葉を手にした美しい花冠のジスモンダ、石版画で繊細に表現された美麗な画面。

初めて手がけたこの一枚のポスターが、ミュシャの名をパリ中に知らしめる所となりました。

その後もミュシャはサラ・ベルナールの「椿姫」や「メディア」などのポスターを制作し、他にも鉄道会社の販促ポスターや、シャンパン(モエ・エ・シャンドン)の広告ポスターなど、グラフィックアートの世界で一躍有名になり、版画のみならずアクセサリーデザインまで手がけるようになります。

ミュシャの芸術は「ミュシャ・スタイル」と称されるほど高みを登りつめ人々に知れ渡り、ミュシャの手がけた多くの作品がパリの街を彩るようになります。

街のそこここに美麗なミュシャの作品が溢れているとは、なんと贅沢な眺めでしょうか。

まさにベル・エポック(よき時代)、パリが繁栄した華やかな時代の象徴と言えるでしょう。

石版画で表現されたポスター芸術 ロートレックのデカダンな人生

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864-1901)は画家、素描家としてよく知られていますが、同時に石版画(リトグラフ)の技術を駆使したポスター作家としても美術・デザイン史に大きな足跡を残しました。

1891年に初めて制作した石版画によるポスター「ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ」は、近代的なポスターの出発点となり、その後30点のポスター、400点近くの版画を世に送り出します。

ロートレックがポスター作家として活躍したのはわずか10年という短い期間でしたが、その間に制作された31点のポスターは、斬新な構図、自由闊達な線描と効果的な色彩、文字と図像との巧みな融合などによって、ポスターの世界に新風を吹き込みました。
(19世紀末のパリの街頭を埋め尽くしたであろう、ロートレックやミュシャ、シェレらの名作ポスターが生まれた背景には、石版画の印刷技術の向上がありました。)

ロートレックはパリ・モンマルトルに住みつき、毎晩のようにムーラン・ルージュなどのダンスホール、芝居小屋などに入り浸り、デカダン(退廃的の意)な生活を送ります。

踊り子や娼婦などの情景を描き続けましたが、ついには過度の飲酒から病院に強制入院させられ、1901年に37歳の若さでこの世を去りました。

ポスター芸術の父 ジュール・シェレの版画作品

19世紀末のアールヌーボーの時代、石版画(リトグラフ)の原理が発見され、カラー印刷が可能になると、
画家が自身の作品を用いてデザインしたポスターが作られるようになります。

1858年には、フランスの画家ジュール・シェレ(1836-1931)が最初の彩色石版画「地獄のオルフェ」を制作します。

その後、シェレが扱いやすく更に完全な色の転写をすることのできる新しい石版法で大版の色刷ポスターを製作し、
創作版画とポスター芸術に多大な影響を与えました。

これがポスター芸術の始まりです。

シェレが複数製作した「ロイ・ファラー/フォリー・ベルジェール」シリーズのポスターは、1893年のもので、
120.6×83.3という大判で、従来のポスターとは比較にならない程、大型化に成功しています。

更にシェレは、それまでのポスターの特徴であった文字情報を大幅に削減、色彩とデザインを強調し、
新しい芸術としてのポスターを生み出します。

シェレは石版技術の欠点を補い、ポスターを芸術の域にまで高めたのです。

「ポスター芸術の父」といわれるシェレは、生涯に1000点以上のポスターを製作し、
後にやはりポスター画家として独特の世界を作り上げたミュシャにも多大な影響を与えました。

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